私の人生を決めた3つの選択

私の人生を決めた3つの選択

サンディエゴからこんにちは!

脳科学Englishトレーナーのしおはまなおこです。

音声配信メディアVoicyのトークテーマ「#自分で選んでよかったこと」特集にのっかって、自分が選んできたことを振り返りました。

私の人生を決めた3つの選択についてお話します。

目次

声をあげたことで道がひらけた2つの選択

最初の2つは、私が20代のころです。1991年と1996年のことでした。

まずは大学4年のとき。就職活動での話です。

決断その1:映画配給会社に就職を決める

1991年の春、大学4年生だった私は就職活動をしていました。まだバブルの残り香があった時期です。私はかなりマイペースで生きてきましたが、なんとなく大企業に就職するのが無難かな、という気持ちがありました。

13才で字幕翻訳家になると決めましたが、字幕翻訳家になるのは最終的なゴール。まずは安定した大企業に就職すべきだろうと思って、OB訪問、OG訪問をやっていました。

でも心のどこかで映画と英語に関われる仕事がしたい、という気持ちがありました。リクルートの就職雑誌をみていたら、創業まもない、当時は社員70数名のギャガという会社を見つけたのです。当時はビデオレンタルが成長しつつあった時期。海外の映像作品の権利を手に入れて、日本で劇場公開したり、ビデオ化したりする映像版権商社+映画配給会社でした。

ちょうど、リクルートにつとめていた女性の先輩にOG訪問していたとき、「ギャガっていう会社に興味があるんですよ」という話をしたら「私の友人、ギャガにいるよ!」ということで、その人につないでもらえたのです。

会って話をする時間をもらったのですが、その方がカッコよかったんです!小麦色の肌、メッシュの入った髪の毛、いかにも帰国子女で英語ペラペラ感が満載(本当に英語が堪能でしたよ)。でも、「あたしは中途で入ったからいいけど、新卒で入る会社じゃないわね」とはっきり言われました。

でも、ギャガは私が入る前の年から新卒採用をしていたし、字幕翻訳に一番近いと思えるギャガに決めました。同期入社は6人。すぐには字幕にかかわる部署には配属されなかったけど、広報としてカンヌ映画祭に行ったり、英語でコレポン書いたり(今でいうメールですね)、いろいろ経験できました。

決断その2:字幕制作の部署に異動する

字幕制作の部署というのは、ギャガが海外の映画祭で買い付けてきた映画に字幕をつける部署。その映画にふさわしい字幕翻訳家に仕事を依頼し、翻訳があがってきたらチェックし、当時はデジタルじゃなかったので、字幕独特の文字をかく「書き屋さん」に字幕カードを発注し、プリントに焼いて、試写で誤字脱字をチェックする。つまり、映画に字幕をつけるプロセスをすべて統括する部署なんです。

この部署にはベテランの方がいて、入社当時から「字幕制作部」に配属希望を出していましたが、入りこむスキがありませんでした。

でも、そのベテランの方が退社することになり、人事部から求人募集の記事をだすよう言われました。なぜ広報のわたしがその仕事をしたのか覚えていませんが、広報も人事もひとくくりのような感じだったんですよね。

そこで「え〜っ!私が字幕制作に行きたいのに、どうして外部に募集だすんですか!」と思わず言っちゃったんですよ。そしたら人事部の人が「え、そうなの?じゃあ、ちょっと考えてみる」ということになって、字幕制作ではなく広報の募集を出すことになったのです。後任に引き継ぎをして、私が字幕制作に異動しました。

あのとき声をあげずに、「あーあ、私が字幕の部署に行きたいのに…」と心の中でないているだけだったら、広報のままだったでしょう。

字幕制作の部署では、戸田奈津子さんや当時はご存命だった大田直子さん、石田泰子さん、松浦美奈さん、などの翻訳をチェックしました。これが勉強になりましたね〜。

ビデオ化するための吹き替え台本をチェックしたり、字幕と吹き替えの世界をたっぷりと体験できたのです。この部署で働いた2年間で、字幕業界の人脈を作れたと思います。

字幕翻訳というのは、資格が必要なわけではありません。仕事がくるかどうか、いい字幕翻訳ができれば次につながり、それが信用になっていきます。

翻訳学校で学んでその学校からの紹介、という道もあれば、私のような道もある。字幕翻訳家になる道は、人それぞれです。

でもあのとき「私が字幕制作部に行きたいのになんで外に募集かけるんですか!」と言わなかったら、字幕翻訳家として独立するまでには、さらに数年かかったでしょうね。

とりあえず言ってみる。声に出してみる。これ、大事ですね。

自分の中でとどめておくだけでは、何も始まりません。就職活動のとき、部署異動のとき、の2つが声をあげてよかったことです。

人生最大の決断

私の人生最大の決断は、2009年、今から15年前のアメリカ移住です。

夢の字幕翻訳家として独立したものの、英語が話せないコンプレックスでカチンコチンになっていました。

2000年に再婚した夫が国際的なビジネスマンで、「子どもができたら海外で育てたいね」と夢を語っていました。でも実は、本当に海外に暮らせるなんて夢にも思ってもいなかったんですよ!

でもいざアメリカ移住のチャンスを目の前にすると、ひるみましたね。日本ですら子育てに苦労している自分が、本当にアメリカで、英語で子育てできるだろうか?

それに、だんだん字幕の仕事も増えてきて、これから、というときなのじゃないか?

でもまだ字幕翻訳家としては鳴かず飛ばずだったことが、背中を押しました。大活躍していたら移住しなかったかもしれません。

それに、英語が話せないコンプレックスをどうにかしたい!という気持ちがめちゃくちゃ強かったのです。字幕翻訳家のさらに上にある、海外で生活するという夢が叶うなら、このチャンスを逃すわけにはいかない。

アメリカで字幕を続けることだって不可能ではない。ロサンゼルスにある字幕翻訳の制作会社に登録したり、準備はしていました。

もし移住せずに日本で字幕翻訳を続けていたら、字幕翻訳家としてのキャリアは確立できたかもしれない。でも、英語は話せないままだったでしょう。

「日本では英語が話せなくたって不自由しない」「字幕翻訳家だからって全員が戸田さんみたいに英語が話せるわけじゃないのよ」と、負け惜しみばかり言っている人になっていたでしょう。

何かをえらぶとき、「どういう自分でありたいか?」「その自分が好きになれるか?」を基準に考えるといいような気がします。

今、南カリフォルニアのサンディエゴで暮らしている自分が好きです。

最後に、ジョージ・クルーニーとキャメロン・ディアスが言った言葉を紹介しましょう。

The only failure is not to try  – George Clooney

やってみないことが失敗だ。

ジョージ・クルーニー

Your regrets aren’t what you did, but what you didn’t do. So I take every opportunity 

人が後悔するのは、やったことじゃなくて、やらなかったこと。だから私はどんなチャンスもつかみにいくわ。

キャメロン・ディアス

英語に“should’ve could’ve would’ve”というフレーズがあります。「たられば」という意味です。

もしあのときこうしていたら、ああしていれば違う人生だったかもしれない、と考えるときもありますが、選ぶ基準は「正しいか」どうかではありません。だって何が正しいかなんてわかりません。決められませんから。そのときに決めたことが、悪い方向に向かってしまったら、どうすれば良い方向に向かうかをまた考える。その繰り返しです。

まとめ

いかがでしたか?

今回は音声配信メディアVoicyの特集#「自分で選んでよかったこと」というテーマでお話しました。

Happy learning!

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